【テンポイント】流星の貴公子と医学の貢献

競馬

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流星の貴公子


※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)

多大な貢献

1973年4月19日、吉田牧場が輸入した種牡馬コントライトと桜花賞馬の母ワカクモの仔として誕生した。
母父カバーラップ二世。

彼の名は、テンポイント

栗毛の馬体でTTGの一角を担う事になったテンポイントは、期待の関東馬トウショウボーイと並び、関西の期待馬として早くも注目される。
やがてトウショウボーイ、グリーングラスとTTG時代を築き、70年代前半の競馬界を大きく盛り上げた。

同期のライバルたちとの壮絶な競走馬生活に留まらず、医学の進歩にも多大な貢献をした栗毛の流星の貴公子の馬生を、今回は見ていこう。

3歳時代


※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)

初陣から負け無し

新馬戦となった夏の函館1000mを主戦騎手となる鹿戸明を背にレコードで勝利し、デビューを勝利で飾った。

その後、もみじ賞、阪神3歳S(現:阪神JF)も勝利する活躍を魅せた。
※現在、阪神JFは牝馬限定競走であるが、かつて阪神3歳Sとして牡馬牝馬問わず出走可能なレースだった。

3戦3勝で終えたデビューイヤーのこの年、テンポイントは優駿賞最優秀3歳牡馬に選出された。

無冠のクラシック時代


※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)

皐月賞

4歳になったテンポイントは、東京4歳SとスプリングSを勝ち、昨年から続く連勝を5に伸ばした。
クラシック初戦の皐月賞では無傷の5連勝という事もあり1番人気で出走。
しかし、これからライバルとなるトウショウボーイに5馬身離され2着に終わった。

実はこの年の皐月賞は、春闘による厩務員組合と調教師会の交渉が決裂し、厩務員組合のストライキを決行した影響で、1週間遅れで東京競馬場で開催された。
通常通りに中山競馬場で開催される事を見込んでテンポイント陣営は調整をしていたが、まさかの事態となってしまったのだ。
この事も敗因の1つされている。

東京優駿

続く東京優駿では落馬負傷した鹿戸明から武邦彦に乗り替わりとなった。
2番人気で挑んだ夢のダービーの舞台だったが、道中の落鉄とレース後に判明した骨折の影響もあり7着と大敗した。

その後、骨折を治す為に休養に入る。
テンポイントの現役生活で唯一の乗り替わりだった。

菊花賞

休養明けの初戦の京都大賞典で3着とまずまずの結果で、クラシック最終戦となる菊花賞へ挑む。

5ヶ月ぶりの大舞台という事もあってか、3番人気で出走したが、結果12番人気の伏兵グリーングラスが菊花賞を制した。

有馬記念

暮れの有馬記念に出走したテンポイント。
トウショウボーイの1と1/2馬身差でまたしても2着と勝ち切れなかった。

この年は無冠で終わったテンポイントは出走した八大競走において、東京優駿以外全て2着だった。

充実した古馬戦線


※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)

無冠返上の天皇賞(春)

無冠で終わった昨シーズン。
今季は初戦の京都記念(春)と鳴尾記念を2連勝を挙げて春の天皇賞へ。
3200mの長丁場である天皇賞(春)を1番人気で制覇。

そして無冠の返上を同時に成し遂げた。

その後、宝塚記念では2着となるも、京都大賞典とオープンを連勝し、1年の締め括りとして雪辱の有馬記念へ向かった。

雪辱晴らした有馬記念

昨年同様に有馬記念に出走。
1年間の活躍によりテンポイントは1番人気に支持された。
この年、7戦全てで1番人気だった。
トウショウボーイがこのレースを以って引退する為、TTGの3頭が揃う最後のレースとなった

トウショウボーイが先行し2番手に付けたテンポイント。やがて最後の直線で先頭に立つと、差し返しにかかるトウショウボーイと猛追して来るグリーングラスを抑え、有馬記念を勝利した。

天皇賞(春)と有馬記念を制し、7戦6勝2着1回の好成績を残したテンポイントは、優駿賞5歳以上牡馬に選出されると同時に、史上2頭目の満票で優駿賞年度代表馬<となった。(’56メイヂヒカリ以来)

闘病生活


※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)

43日の闘病生活

1978年になりイギリス遠征も決めていたテンポイント陣営は、この年の初戦として1月22日の日本経済新春杯に出走。
しかし第4コーナーで左後肢を骨折し競走中止となった。

馬主の高田久成が安楽死の処置をするか検討していた中、テンポイントの助命を求める電話が多く寄せられた為、安楽死の処置はせず、レースの翌日に早くも手術を行った。
解放骨折であり症状は極めて重いものだったが、手術は成功したと思われ、今後は種牡馬として生活が出来るかもしれないと希望が見いだされた。

しかしボルトが体重をかけた影響で曲がってしまい、骨折した骨がずれた状態で固定されてしまっていた。

2月下旬、右後脚に蹄葉炎を発症し、鼻からの出血、食欲低下と症状は悪化。
3月2日になると右後肢の蹄底部の角質が遊離して症状は悪化しているとされ、命に関しては"ほぼ絶望的"だった。
翌日には治療が断念され、馬体を吊り上げて脚に負担をかけない措置を中止させ、テンポイント横たわらせた。

そして3月5日、テンポイントは蹄葉炎で43日に及ぶ闘病生活の末、力尽きた
安楽死は行わず自然死でこの世を去った。
全身衰弱による心不全として、死因が発表された。

そして死から12年後の1990年にJRA顕彰馬に選出された。

さいごに

多くの競馬ファンを魅了し、同期のライバルと鎬を削り合った現役時代。
そして、医学の進歩に大きく貢献した最後の43日間。
2つの戦いに挑んだ流星の貴公子テンポイント。

勿論、関係者が言う様にテンポイントを苦しめる結果となってしまったのは否めない。しかし、この闘病生活で得た物が現代の医学に役立つ物となっていると考える。

彼ほど命が尽きるその瞬間まで濃い馬生を歩んだ競走馬は、数少ないのではないだろうか?

テンポイントの情報

テンポイント(牡馬・栗毛)
1973年4月19日生
1978年3月5日没 5歳(旧6歳)

父コントライト
母ワカクモ
母父カバーラップ二世

[生産者]
吉田牧場(北海道早来町)

[馬主]
高田久成

[調教師]
小川佐助(栗東)

[厩務員]
山田幸守

[競走成績]
18戦11勝

[主な勝ち鞍]
1977年 天皇賞(春)(八大競走)、有馬記念(八大競走)

[獲得タイトル]
1977年 優駿賞年度代表馬
1975年 優駿賞最優秀3歳牡馬
1977年 優駿賞最優秀5歳牡馬
1978年 優駿賞マスコミ賞
1990年 JRA顕彰馬

テンポイントと共に鎬を削った2頭との対決を書いた記事は以下から見れます。

☆TTG対決テンポイント編はこちらから。
☆TTG対決グリーングラス編はこちらから。
☆TTG対決トウショウボーイ編はこちらから。

参考サイト等の情報はこちらをご覧ください

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