【ハイセイコー】大井の怪物はアイドルホースとなり、競馬ブームを巻き起こした

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元祖アイドルホース

オグリキャップが競馬界に現れる15年近く前、同じく地方から中央に挑んだ1頭の競走馬がいた。
彼の名はハイセイコー。

地方の大井競馬で圧倒的な成績を残した彼は、4歳の時に中央競馬へと参戦する。

”地方出身者が都会のエリートに挑む”
その姿は多くの競馬ファンを獲得し、やがてアイドルホースとしてその名を轟かせた。

現役時代・3歳編

新馬戦から6戦目まで

1972年7月12日大井競馬場でデビューしたハイセイコーは1番人気で出走し、 8馬身差で勝利。
このデビュー戦はレコード勝利であり、初めて1000mを1分未満(59秒4)で走破した。

その後、6戦目の青雲賞(重賞)まで大井に所属し、いずれのレースも7馬身差以上で圧勝。

そして、翌1973年に中央へ移籍する。

現役時代・4歳編

中央参戦

1973年、ハイセイコーは所有者が(株)王優からホースマンクラブに変更となった。

無敗のまま地方から中央に参戦したハイセイコーは、中央初戦に弥生賞に出走し勝利。
この時騎乗した増沢末夫は、引退までの全戦で騎乗する事となる。

弥生賞勝利後はスプリングSに出走し勝利。

中央でも負け知らずのハイセイコーは、クラシック挑む。

皐月賞

無敗のままクラシック初戦の皐月賞に出走したハイセイコーは、自身初の2000mかつ当日は重馬場だったが、1番人気に支持された。

スタート直後の正面スタンドを中団馬群で通過すると、向正面で3番手まで浮上。
第3コーナーで早くも先頭に立ち、2と1/2馬身差で無敗の皐月賞馬となった。

東京優駿

無敗の皐月賞馬となったハイセイコーは、日本ダービーに出走。

これまで東京競馬場では未出走だったハイセイコーは、ダービーの前走として同競馬場開催のNHK杯に出走し勝利を飾る。

デビューから10戦無敗の皐月賞馬への期待は大きく、1番人気に支持された。

レースでは道中10番手辺りを走り続け、第3コーナーに差し掛かかると、馬体を先頭集団へ押し上げる。
最後の直線で一瞬リードしたが、タケホープとイチフジイサミに交わされ、3着でダービーを終えた。

京都記念

初黒星を喫したダービーから約5ヶ月後、京都記念に出走したハイセイコーは、最後の直線で大外から捲りにかかるも、届かず2着だった。

菊花賞

ハイセイコーはクラシック二冠のリベンジの為、三冠最終戦の菊花賞に挑む。

ダービー馬のタケホープも出走する中、ハイセイコーは1番人気に支持された。
タケホープは京都記念の着順の影響もあってか6番人気と低迷。

3000mの長丁場、ハイセイコーはいつもより早めに先頭に出ると、最後の直線で後続を一気に突き放す。
そのままゴールかと思われたが、大外から伸びてきたタケホープが僅かに交わし、ハナ差で菊花賞を勝利。

ハイセイコーは2着で菊花賞と二冠を逃し、タケホープがクラシック二冠馬(東京優駿、菊花賞)となった。

有馬記念

菊花賞でハナ差の2着に惜敗後、4歳最後のレースとして有馬記念に出走。
初めて古馬と対戦するハイセイコーだったが、歳上の馬に引けを取らない走りで3着と好走した。

現役時代・5歳編

5歳初戦から引退レース前走まで

年が明け古馬となったハイセイコーは、1月末にAJCCに出走したが、自己ワーストの9着で初めて着外を経験した。

その後、中山記念に出走し復活。
前年5月に行われたNHK杯以来の勝利をだった。

春の天皇賞では6着に敗れるも、宝塚記念と高松宮杯を2連勝。
しかし、この高松宮杯が現役最後の勝利となる。

秋になると初戦の京都大賞典で4着、続くオープンで2着と健闘した。

そして、ハイセイコーは有馬記念をラストランして迎える。

ラストラン・有馬記念

迎えたラストラン有馬記念。
クラシック三冠を分け合ったタケホープも同じくラストランだった。

ハイセイコーは道中3番手のポジションでレースを進める。
最終コーナーで先頭のタニノチカラをで交わす体勢で直線に入るが、その差を5馬身広げられてしまった。

ラストランを2着で終えたハイセイコー。
クビ差の3着にタケホープが来ていた。

引退後

種牡馬としてのハイセイコー

引退後も人気は健在であり、多くのファンがハイセイコーをひと目見ようと会いに来ていた。

種牡馬としても多くの重賞勝利馬を輩出し、初年度産駒カツラノハイセイコは、父が成し遂げられなかった日本ダービーを勝利。
その後、天皇賞(春)も勝利するなど活躍した。

他にも産駒として、エリザベス女王杯を勝ったサンドピアリス、ハイセイコーと同じ皐月賞を勝ったハクタイセイ、そして母父としては朝日杯3歳Sの勝利馬マイネルマックスを輩出した。

さいごに

地方から始まった物語はやがて競馬界のアイドルの物語へと形を変え、第一次競馬ブームの立役者となったハイセイコー。

中央時代の主戦増沢末夫がマイクを握った事で知られる楽曲『さらばハイセイコー』、『ハイセイコーよ元気かい』が発表されるなど、その人気は競馬の枠を越えていた。

その偉大な功績から大井競馬場で開催されていた青雲賞は2001年からハイセイコー記念に改称。
また同競馬場には像が建てられており、今も競馬ファンにとってのアイドルホースで在り続けている。

ハイセイコーの情報

ハイセイコー(牡馬・鹿毛)
1970年3月6日生
2000年5月4日没 30歳(旧31歳)

父チャイナロック
母ハイユウ
母父カリム

[生産者]
武田牧場(北海道新冠町)

[馬主]
株式会社王優→ホースマンクラブ

[調教師]
伊藤正美(大井)→鈴木勝太郎(東京)

[調教助手]
鈴木康弘(東京)

[厩務員]
山本武夫(大井)→大場博(東京)

[競走成績]
22戦13勝
(地方)6戦6勝
(中央)16戦7勝

[主な勝ち鞍]
1973年 皐月賞(八大競走)

[タイトル]
1973年 優駿賞大衆賞
1984年 JRA顕彰馬
2000年 NARグランプリ特別表彰馬

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参考文献について

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