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第3の男
※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)
緑の刺客
1973年4月5日、父インターメゾ、母ダーリングヒメ(母父ニンバス)の仔として、青森県の諏訪牧場で誕生したグリーングラス。
父インターメゾはセントレジャーSを勝利したイギリス産馬、母ダーリングヒメは英国二冠馬のニンバス産駒であり、七夕賞や福島大賞典を制した競走馬であった。
やがてグリーングラスは、電気製品の製造組立て会社『月電工業』を営む馬主・半沢吉四郎が購入し、彼の地元にある福島競馬場に入厩。
調教では動きも良く評判が高かった。
その後、中野吉太郎厩舎(中山)へと入厩したが肺炎を患った為、デビューは年明けの4歳時となる。
因みに、グリーングラスと言う馬名は3度目に申請して通った名前であり、1度目はジュリアスシーザー、2度目にアランドロンとして申請をおこなったが却下された。
無名の春
伝説の新馬戦
1976年1月31日、伝説の新馬戦として知られるこのレースでデビューを飾ったグリーングラス。
1983年のクラシック三冠馬ミスターシービーの父トウショウボーイとその母シービクインも出走していた。
グリーングラスは2番人気で出走したものの4着に敗れ、トウショウボーイが1番人気に応える結果となった。
初勝利からの苦戦
その後、3戦目で初勝利を飾ったが、次走は初めての不良馬場で4着となり、皐月賞は春闘で開催が遅れた影響もあって出走を回避した。
その後、中野吉太郎の死去により息子の隆良の厩舎に転厩したグリーングラスは、NHK杯で12着と大敗。
春のクラシック戦線を盛り上げたトウショウボーイやテンポイント、クライムカイザーらとは対象的に、グリーングラスは無名に近い存在であった。
苦戦からの再起
NHK杯での大敗から約1ヶ月後、同じ東京開催のあじさい賞に出走すると、初勝利以来の白星を挙げる。
下半期に入り、マーガレット賞と中距離ハンデキャップで2戦連続2着と好走した後、続く鹿島灘特別で再び勝利を飾った。
菊花賞
※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)
12番人気
ここまで9戦して3勝。
他馬の出走回避もあり、賞金獲得順21頭中21番目で菊花賞へ出走する事となった。
1番人気トウショウボーイ、2番人気クライムカイザー、3番人気テンポイントと春のクラシックを席巻した3頭が上位人気を独占。
グリーングラスは12番人気であった。
この菊花賞がTTGの3頭が揃った初めてのレースであり、12番人気と伏兵でありながら上位人気3頭を抑え、菊のタイトルを獲得した。
なお、グリーングラスに騎乗した安田富男は、この日が生涯唯一の八大競走制覇と京都での重賞勝利となった。
古馬戦線へ
TTG対決本格化
菊花賞後のレースは年明けとなった。
AJCCに出走し勝利し、続く目黒記念(春)では2着と安定した成績を収めて天皇賞(春)に向かった。
天皇賞(春)ではテンポイントとの対決になったが、グリーングラスは4着に敗れる。
また、無冠であったテンポイントが初タイトルを奪取する結果となった。
そして、昨年の菊花賞以来となるTTG3頭での対決となった宝塚記念では、テンポイント、トウショウボーイに続く3番人気で出走。
グリーングラスは、2着となったテンポイントに4馬身離され3着でレースを終えた。
その後、日本経済賞でAJCC以来の勝利を挙げると天皇賞(秋)へ。
当時の天皇賞(秋)は府中3200mであり、長距離が得意なグリーングラスであったが5着に敗れた。
また、同じく出走していたトウショウボーイは7着に沈んだ。
最後のTTG対決
有馬記念
この年最後のレースとして有馬記念に出走。
1番人気テンポイント、2番人気トウショウボーイ、3番人気グリーングラスと今回も3頭が上位人気を独占した。
レースでは先頭へ行ったテンポイントとトウショウボーイを見るように、5番手にポジションを取る。
3番手まで上がり、最後の直線で叩き合うテンポイントとトウショウボーイの2頭に外から襲いかかるも2着に1/2馬身差の3着。
有馬記念を制したのはテンポイントであった。
トウショウボーイが引退、そして翌年のテンポイントの死により、TTG3頭での対決は今回が最後となった。
TTG最後の現役馬
※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)
第3の男から主役へ
トウショウボーイがターフを、テンポイントがこの世去った後、グリーングラスは現役にこだわり続けた。
1978年のこの年も昨年同様AJCCに出走し2着。
オープン戦で3着となり、勝ち切れないが安定した走りを魅せた。
天皇賞(春)
グリーングラスにとって、トウショウボーイとテンポイントがいない初めての八大競走となった天皇賞(春)。
1番人気に支持されると得意な長距離という事もあり、2年前の菊花賞以来となる八大競走を制した。
後に宝塚記念で2着、有馬記念で6着と敗れたが、この年は5戦して3着以内が4回と安定感抜群であった。
ラストシーズン
7歳馬
7歳となったグリーングラスは、一昨年と昨年と同様にAJCCに出走し1年を開始した。
結果は昨年と同じく2着。
AJCC出走後、この年は天皇賞(春)には出走せず、宝塚記念に向かった。
4ヶ月ぶりの参戦という事もあり7番人気と人気薄であったが3着となり、実力を魅せつけた。
オープン戦で2着に入ると、ラストランとして有馬記念を選択。
有馬記念では2番人気に支持され、また有馬記念史上初の16頭フルゲート。
鞍上であった岡部幸雄が他馬に騎乗する為、大崎昭一が最初で最後の手綱を取った。
レースでは中団で囲まれる形でレースを進めていたが、やがて第3コーナー付近で先頭に立ち直線を迎える。
メジロファントムが末脚を魅せたがハナ差の決着で軍配はグリーングラスに上がった。
トウショウボーイとテンポイントが成し遂げられなかった有終の美を飾ったのであった。
そして1979年の年度代表馬に選出され、TTGの全頭が年度代表馬となった。
(トウショウボーイ1976年、テンポイント1977年)
第3の男の余生
※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)
G1馬も輩出
引退後、種牡馬となったグリーングラスは父としてリワードウイング(1982年産)が、1985年のエリザベス女王杯(GI)を制する活躍をした。
他には、
・トウショウファルコ(1986年産):AJCC(1992年)、金杯(東)(1992年)
・トシグリーン(1987年産):京王杯オータムハンデキャップ(1992年)、CBC賞(1993年)
・ツルマルミマタオー(1987年産):阪神3歳S(GⅠ)3着(1989年)
も産駒として知られている。
また、母父としては、京都大障害(秋)(1996年)の勝ち馬ザスクープ(1991年産)が挙げられる。
静かな余生と大往生
1996年に種牡馬を引退した後は北海道から佐賀県のエンドレスファームに移り、静かな余生を過ごした。
2000年6月12日、放牧中にアブに刺された事に驚き柵に激突。
右前脚を粉砕骨折した為、治療が施されたが6月19日に安楽死の処置が取られた。
28歳と大往生であった。
さいごに
トウショウボーイとテンポイントという大きな存在が同期として存在してたグリーングラス。
第3の男として2頭に引けを取らない活躍をし、70年代に欠かせない1頭になった。
長距離を得意としていたグリーングラス。
その強さが7歳まで現役を続けた事に繋がっているのではないだろうか。
グリーングラスの情報
グリーングラス(牡馬・黒鹿毛)
1973年4月5日生
2000年6月19日没 27歳(旧28歳)
父インターメゾ
母ダーリングヒメ
母父ニンバス
[生産者]
諏訪牧場(青森県上北郡天間林村)
[馬主]
半沢吉四郎
[調教師]
中野吉太郎(中山)
中野隆良(中山→美浦)
[競走成績]
26戦8勝
[主な勝ち鞍]
1976年 菊花賞(八大競走)
1978年 天皇賞(春)(八大競走)
1979年 有馬記念(八大競走)
グリーングラスと共に鎬を削った2頭との対決を書いた記事は以下から見れます。
☆TTG対決グリーングラス編はこちらから。
☆TTG対決トウショウボーイ編はこちらから。
☆TTG対決テンポイント編はこちらから。
参考サイト等の情報はこちらをご覧ください
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